32 知らなかった | モクジ | 34 疲労


有刺鉄線の向こう側

 あの人はね
 天に疎まれた子供だったのよ


 龍の血は一滴だって混じってないけれど、
 あの人は紛れもなく天子だったの。
 ロミシェスの黒い鷲を父に持ち
 タタールの白い鷹を母に持つ
 誰よりも強い翼を持つ真紅の隼――
 あの人もまた、天の子供だったのよ。

 今もこの黄色い大地の上を駆けている気がするの。
 この蒼穹をどこまでも翔けている気がするの。
 いつか迎えに来てくれるような気がしてしまうの。


 だから、わたしは生きてきたのよ。
 一人きりで捕らえられて、
 生まれたばかりの息子さえ奪われて、
 一生孤独な囚われの身となって、
 それでも死ぬことなんかできなかった。

 いつかあの人が来るかもしれない、
 そう思ったら、死ねなかった。


 馬鹿だねわたしは。
 あの人が死んだことくらい、とっくの昔に知ってたのに。
 追い詰められて殺されて、晒し者にされてるところを
 見た人だっていっぱいいるのに。

 それでも信じられなくてね。
 だってわたしは囚われてるから
 あの人の死んだところを知らないもの。

 あの人が生きているなら、
 こんな風に黙っているはずがないって、
 わたしが誰よりわかってるはずなのにね。



 ――カンメイ、ほら、カンメイ。
 そんなところで寝てしまうんじゃないよ。
 早く帰らないと、お父さんとお母さんが心配する。
 子供に会えない親が、どれほど不安なものか。
 ほら、早くお家にお帰り。

 大丈夫だよ、
 お前はきっと、天が愛してくれるはずだ。
 お前の祖父が、天に愛されなかった分だけ、
 お前の父が、母に愛されなかった分だけ、
 きっとお前は、全てに愛されるはずだから。


 だからほら、急いでお帰り。



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