24 意地悪 | モクジ | 26 照れ


歌垣


 春祭りは、歌の祭り。
 娘達は誰にも負けじと自分を飾って、自慢の歌声を張り上げる。
 若者達は袖の長い衣を纏って、こっそり練習した舞を披露する。
 春祭りで唄うのは子供から老人まで、村の人なら誰でもだけど、
 一番盛り上がるのは年頃を迎えた娘達と若者達だ。

 なぜなら春祭りは歌垣だからだ。
 生涯の伴侶を探し、想いを告げる、恋の祭りだからだ。



 隣のお姉さんは、今年で十五。
 お姉さんが嫁ぐ年に満ちるのを待っていた人が、たくさんいるのをわたしは知っている。彼女はラーヌに髪を結ったシュ・ドゥルグの姫君で、神様の妻の候補に選ばれるほど美しく気高い人だから。
 黒い裳の裾を虹色に染め抜いて、銀の飾りを音がするほど身に重ね、お姉さんは緩く足を運びながら声を張り上げる。細い弦を弾ききるようなその声は、歌垣の中でも一際冴えた。
 ここで歌っていると、お姉さんの前に次々と村のお兄さん達が現れるのがよく見える。長い袖を翻して、求愛の舞の調子を踏む。
 その帯には、飾り太刀と一輪の花が挿されている。花弁を散らさないように、それでも精一杯舞い尽くすお兄さんの顔は、汗を滴らせながら紅潮している。
 お姉さんの歌一曲分を舞い切ったお兄さんは、その場に跪くと白い飾りの袖を宙に投げ上げて、その間から両手をはらりと引き出す。そしてまだ舞が続いているような動きで、腰の花を引き抜くとお姉さんに差し出した。
 ――ああ、駄目だ。お姉さんは立ち尽くしたまま頷かない。
 お兄さんは、諦めきれないようにお姉さんを見上げたまま、再び花を差し出す。それでもお姉さんは頷かない。芝居がかった動きを三回繰り返し、それでもお姉さんは最後まで頷かなかった。
 俯いたお兄さんは、泣きそうな顔で花を腰に戻す。そして重い足取りで広場の向こうに消えていった。
 大丈夫だよ、お兄さんが最初じゃないから。お姉さんに断られたのは、お兄さんが十四人目。
 これまでの十三人と同じように、去っていくお兄さんには目をくれようともせず、お姉さんは再び綺麗に磨いた声を伸ばした。
 きっとお姉さんは待っているのだ。だからそれはどうしようもない。


 それから五人のお兄さんを追い返して、日が暮れかけた頃、その人はやってきた。
 時間が経つに連れて舞が荒れる人も少なくないのに、その人はこれまでやって来た誰よりも長い袖を綺麗に捌いた。足で素早い調子を正確に踏み、しなやかに身を翻してくるりと回ると、風だけで腰の花が散りそうなほどに揺れた。
 白い袖を宙に投げ上げると、夕日の色にそれが染まる。それを勢いよく振り下ろすけれど、袖の先は地面に着く一瞬前で空中に翻る。風を切る長い脚は時折お姉さんの飾りを掠めるけれど、どれもお姉さんにはぶつからない。夕日よりも紅いお兄さんの顔を見上げながら、お姉さんは焦らすように一際長い激しい歌を唇で紡ぎ続けていた。いつもは一曲ごとに貝皿の紅を指先で唇に塗っているのに、鮮やかな色がすっかり落ちてしまっても、まだお姉さんは歌い続けていた。
 やがてそれに気付いた村の人が、二人の周りを囲み始める。その中でようやくお姉さんは、長々と声を引いて歌を終えた。くるくると最後に三回も見得を切ったお兄さんは、そのまま頭の上に長い両袖を投げ上げる。鳥の翼のように翻った袖の間から、お兄さんの長い指が覗いた。
 その場に跪いたお兄さんは、迷わず腰の花に手を伸ばすと、それをお姉さんに差し出してみせる。
 歌い終えてそこに立ち尽くしたまま、お姉さんはまだ頷かない。けれどその表情が今までのものとまるで違うのは、夕日の中でもよくわかる。お姉さんの顔も、焼けた銅のように真っ赤に染まっている。
 お兄さんはお姉さんの顔を真っ直ぐに見上げて、もう一度花を差し伸べる。一瞬躊躇うように頭の飾りを揺らしたけれど、お姉さんはやはりお兄さんを見下ろしたまま動かない。
 ――そして三回目。一番大切な三回目の花を、お兄さんは一際丁寧に真っ直ぐ差し伸べた。
 ぱっと表情を開くと、お姉さんは崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。周りの人垣から歓声が上がる。
 裳裾を摘んでしゃがみ込んだお姉さんは、泣きそうなほど嬉しそうな顔で俯いた。その手も首筋も肩も、震えているのがよく見えた。
 お兄さんはお姉さんににじり寄ると、震える長い指で花を差し出し、それから綺麗に銀で飾りつけたお姉さんの髪に挿した。色のない銀の飾りの中で、鮮やかな小花の束がふわりと揺れた。
 その途端、二人の周りで祝福の歌が溢れた。お姉さんの手を取って立ち上がったお兄さんは、照れ臭そうに一頻り辺りを見回した後、お姉さんを横抱きに抱え上げてくるりと回る。小さな声をお姉さんが上げたけれど、それはすぐに歓声に掻き消えた。
 祝いの歌の中に、一際目立つ鼻声が混じっていた。見ると、お姉さんにふられたお兄さん達が何人も涙を拭いながら歌っていた。お姉さんの幸せは、断ったお兄さん達の数だけ約束されている。
 大丈夫、お兄さん達にもきっと、これからいいお嫁さんが見つかるよ。差し出した花を受け取ってくれるお姉さんが、きっと現れる。


 村の女の子は皆、こんな光景を小さい頃から何度も見る。
 そして、自分の髪にいつか花を挿す人がやってくるのを夢見て、歌声を懸命に磨くのだ。歌垣の姿は、女の子なら誰でも憧れる夢なのだ。

 ――だけど、わたしはわかってる。
 わたしの髪に花を挿す人は、きっと現れないと。
 だって、わたしは誰よりも忌まわしく汚らわしい、罪深い禁忌の子供なんだから。わたしを好きになってくれる人なんて、絶対に現れない。
 何よりわたしが好きなあの人には、もう定められた『妻』がいる。そしてあの人はわたしが嫁ぐ年の春には、もうこの地上にいない。
 わたしが花を受け取りたいと思えるほど好きになれるのは、あの人だけなのだ。その人から受け取ることができなければ、花は何の意味もない。
 少し寂しいけど、それがわたしの宿命だから。だからそれは構わない。この罪深い血を残さないように、わたしは一人で朽ち果てるまで生きていく。


 だからどうか、お兄さんとお姉さんは幸せに。



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