ある女がいた。
女はある時、二人の子供を産んだ。
同じ顔をした姉と弟、二人は双生児だった。
母になった女は、二人に名をつけた。
自分と同じ女である娘には、独りぼっちでも美しく咲ける大輪の花のようになれと願いを込めて。
彼女を捨てざるを得なかった『あいつ』と同じ男である息子には、独りでは弱くても誰かを信じることで強くなれるようにと願いを込めて。
今から十七年前の話である。
第二夜
「ねえ、鈴華。」寛美は少し呆れたような声を出した。
はっとしたように緊迫した面持ちで、先頭を歩く鈴華は振り返った。「何?どうかしたの」
「あのさ、その服装なんだけど・・・。」言い掛けて寛美は鈴華から目を反らした。だめだ、あまり直視したくない。
「俺、人種差別は国営企業と同じくらい嫌いなんだけど。」眉間に人差し指を当てて、鈴華の隣を行く飛竜が指摘した。「その格好、変だ。」
鈴華は能天気に首を傾げた。「そう?」
彼女は今日、学校規定に従った白いポロシャツと紺色の柔らかいジャンバー・スカートを着用して来ていた。そこまでは何も問題がなかったのだが、何を思ったか鈴華は、丈の長いスカートの前を捻り脚の間を通して、腰の後ろで帯のように巻いたリボンで括りつけたのだった。スカートが丁度ハーフパンツのようになるのだが、如何せんジャンスカポロシャツでその格好をされるとあまりにもおかしい。
肩までしかない短い髪を無理やり括りつけた鈴華は、至って真面目に意気込んで見せた。「まさかこんなことになるってわかってたら、ちゃんとそれなりの服できたんだけど。ま、しょうがないから気休め程度にでも、ね。」
「タイ族は確かに作業着をそういう風に着こなすがな・・・。」飛竜の口調は今一つ同級生、という気がしない。十七歳ではなく、もっと老成した大人と会話しているような気にさせられる。「あれはあの衣装でこそ似合うんだろう。」
鈴華はふうん、と飛竜の方を感心したように眺めた。「劉くんって物知りなんだね。タイの人も、スカートをこんな風にズボンにするんだ。」
寛美は額を掻いた。「あんた達二人とも、どこでそんなの覚えてくるのよ。」
「お婆ちゃんは裳(チマ)をこうやって着てたんだよ。」二人に呆れられて、鈴華は少しだけ悲しそうな顔をした。
「じゃ、お前の婆様はタイか其処らの出身なのか?」飛竜は、道路標識を見ながら尋ねた。その問いに鈴華は首を横に振った。
「ヤマトからの帰化だって言ってた。」
飛竜も寛美も一瞬ギョッとした。――ヤマト・・・。
「ヤマトの神話の女神様は、男装する時にこうやって裳を括って袴にしたんだって。お婆ちゃんが言ってたよ。」鈴華は嬉しそうに、誇らしげに言った。
寛美は思わず声をひそめた。「ヤマトって、今の大東亜共和国の古名でしょ?」
「お婆ちゃんはその呼び方を嫌うけどね。」鈴華は、今度は振り返らなかった。
「戦前は大日本帝国って言ってたんだってさ。その呼び方のほうがしっくりくるって、兄貴言ってた。ちっとも共和国じゃないって。」
鈴華が彼女の兄について触れたので、寛美は少し言葉に詰まった。
「賢明だが、馬鹿な兄上だな。的は獲ているが、公開処刑の対象にされ兼ねない発言だぞ、それ。」飛竜は言った。寛美としては、そんな彼が処刑されていないことが不思議でたまらない。
顔を動かさずに、しれっとした口調で鈴華は言った。「ああ、大丈夫よ。だって、もう処刑されてるし。」
「あ、それならもう処刑されようがないな。」あっさりと飛竜は納得した。そして、それ以上その話題には触れなかった。「とにかく、その格好はやめとけ。」
鈴華の兄が殺されたことを、寛美はリアルタイムで知っている。
蘇家はこの国には最も多いと言われる、やや低めの生活水準の家庭であった。妹の鈴華はあまり勉強ができる方ではないが、彼女の兄は身内でも期待の的であったらしい。本人も学業を身につけたかったらしく、家庭に迷惑をかけないようにとバイトで進学資金を稼いでいた。食料の買出しでスーパーマーケットに行くと、寛美はよく鈴華とよく似た面立ちの青年にレジを打ってもらっていたものだった。あまり愛想はよくないが、一応面識はある相手だった。
その為、彼がようやく入学した法学系大学のコンパの席上で処刑されたというニュースは、寛美にとって少なからずな衝撃であった。取り立てて仲のよい兄妹、という訳ではなかったが、鈴華は寛美にその報せを泣きながら持って来た。
そして鈴華の音楽や小説の好みが実は彼女の兄から大きく譲り受けたもので、寛美自身少なからず影響を受けているということを、彼女は今更のように知ったのだった。
しばらくして鈴華は、親友寛美にポツリと語った。
「カンメイは頭いいから、いずれどこかに留学した方がいいよ。本当に頭いい人は、この国じゃ何にも勉強できることないもん。法律の勉強とかしてたら、カンメイだったら兄貴みたいに撃ち殺されちゃうよ。」
寛美は確か、こう答えたと思う。
「大丈夫だよ。あたしは撃ち殺されなきゃいけないほど、国に盾突く勇気ない。」
「ここ?」鈴華はその横に長い建物を見上げた。変な着こなしによって変なしわの寄ったスカートがひらり、と揺れる。
ほう、と寛美は言った。「あたし、ここに来たことあるよ。」
一瞬えっという表情をした後、ようやく鈴華は思い当たる節に当ったらしい。
「そういえばカンメイ、演劇部の助っ人でよく出演してたんだっけ。」
「省営文化会館。なかなか立派な劇場じゃないか。」飛竜は感心したように言った。もっとも、多少の皮肉が含まれる感心ではあったが。
寛美はそれを受けて、にやりと笑って見せた。
三人は、とりあえず正面入り口と思われるガラスの回転ドアの前に立った。薄暗いドアの向こうには、赤や黒の色鮮やかな上演案内ポスターが見える。寛美が扉のバーに触れようとすると、突然飛竜がその手を抑えた。
「何?」やや不機嫌に寛美は小声を出した。
抑えた口調で飛竜は言った。「他に入り口があるなら、そっちに案内してくれ。」
鈴華は二人の間に頭を突っ込んで尋ねた。「どうして?」
少し何かを考えた後、寛美はすっと右手側に反れた。後の二人がつられたように首を動かす。
デザインを重視したような庇の下に入り、静かに寛美は言った。「こっちに大道具の搬入口があるよ。大丈夫、関係者以外知らないはずだから。」
小さく頷いて、飛竜はきょとんとした鈴華を促し、花崗岩の壁に沿って歩き出した寛美の後を追った。
もはや頭上高くに昇った太陽から逃れるように、一行は庇の下を行った。
「何であの入り口からじゃ、駄目なの?」緊迫した空気に気圧されて、押し殺した声で鈴華は訊いた。記憶の糸を手繰るのに忙しい寛美に代わって、飛竜が早口に答えた。「正面入り口だと、誰かが待ち伏せしてたら不利なんだ。それに、ドアに何か細工をされてたら一溜りもない。」
「細工?」不穏な響きに、鈴華は猫っ毛を震わせた。
きょろきょろと動く寛美を見失わないように視線を動かさず、飛竜は呟いた。
「例えば、ノブに電流が通ってたら?」
鈴華はぞくりと肩をすくめた。
不意に、寛美の声がした。「それにね、ステージは一番視野が広いのよ。隠されてる武器以外にも使える物は多いし。」
その台詞の本当に意図するところは、この段階では寛美にすらわからなかった。ただ、もしかしたら飛竜あたりは予想していたかもしれないが。
「ここ入って。」寛美はステンレスで被われた金属製のドアノブに両手を掛けた。そして渾身の力を込めて重い扉を引く。そのうち鈴華も加勢したがなかなかうまく行かず、ついに飛竜が後ろを警戒しながら手を掛けるなり、音も立てずに扉は開いた。大きな両開きのドアは、正面の回転ドアの三倍はあろうかと思える大きさであった。しかし、余りに巨大な上に劇場の奥まったところにあるので、確かに一般者には見つけづらいだろう。
まず中に寛美が入り、次に鈴華が入った。中は照明が点いておらず、暗かった。最後に飛竜が滑るように入りこみ、扉を引くと中は本当に真っ暗になった。いや、赤い非常灯だけは不気味に無機質な明りを放っていたか。
「明かり、点けるよ。」寛美は飛竜に断った。とりあえず最終的な判断は、彼に任せるのが得策であろうと考えたからである。飛竜は闇の中で「ああ」とだけ言った。
真っ暗な中、両手を左右に揺らしながらゆったりと進むと、何か厚手の布に当たり左手が押し返される感触がした。右手を揺らすとやはり布に当たる。どうやら第二サスペンションライト下の中幕らしい。しめた。
寛美は右手に当たった布を左手に握り替えて、手探りで袖明かりのスイッチを探った。と、壁に沿って何か硬い物がくっついている。ひんやりとしたコンクリートの壁に移り、その辺りを軽く撫でてみた。丸い滑らかなボタンが三つ並んでついているのは、明かりではない、緞帳(舞台と客席とを遮る厚い幕)の昇降スイッチである。確かその隣に、上下に押し上げるタイプの、新しい劇場には似つかわしくない旧式のスイッチが・・・。
パチッ。
チカチカっと細長い蛍光灯が点滅し、ぼんやりとした明かりが頭上に灯った。
「薄暗いんだね。」不安げに鈴華が言った。見上げると、色々と鉄骨が露出した中に蛍光灯のソケットが括り付けられている。
「調光行ったら多分客電点くけど。」寛美は舞台の方に出た。緞帳は開いたままで、三人がいるのは下手の袖――つまり客席から見て左手側の舞台端だった。
ふと振り向くと、鈴華はやはり首を傾げていた。調光や客電と言われても、何のことだかわからないのだろう、当然である。
寛美は鈴華を手招いて、客席の向こう側に見える箱のようなガラス張りの部屋を指差した。「あれが調光室、略して調光。照明全般はあそこで管理するの。それから、客席に点く電灯のことを客電って呼ぶの。演劇用語・・・かな。」
へえ、と鈴華は納得したようだった。「凄いね、カンメイ。なんか業界人みたい。」
「この劇場の綱元はどこだ?」きょろきょろと左右を見渡しながら飛竜は袖から出て来た。舞台の上なのも手伝って、彼のちょっとした仕草がまるで役者のそれのように見える。
「綱元って?」こそっと鈴華が尋ねた。そういえば、この子ほど演劇と縁がなさそうな子も珍しい、と取りとめもなく寛美はそう思った。そして、自分と彼女はいつも同じ時間を共有してきたように思ったが、二人別々の時間を過ごしてもきているのだということを今更のように感じた。
少し考えて、寛美は自分たちが入ったのとは反対側の舞台袖を指差した。「確か上手の袖の奥よ。」
飛竜は薄明かりの中でちょっと頷いたようだった。そしてさっと身を翻して袖へと引っ込んでいった。
「舞台照明って、上から吊るしてるの。」寛美は鈴華に天井を仰がせた。華麗な舞台からは想像もつかない、無骨な黒い箱がたくさん並んでぶら下がっていた。箱には一つ一つ、目玉のような丸いガラスがくっ付いている。「ほら、あれがライト。フレンネルとかベビーとかいろんな奴があるんだけど――まあ、まとめてサスペンションライトって言うのよね――全部バーって言う棒に吊るされてるのよ。その棒の高さとかを調整するロープのリールが綱元。舞台袖にあるの。何となくわかった?」
「ん・・・何となく。」曖昧に鈴華は了解した。こんな説明では、多分ろくにわからないだろうと、寛美は諦めた。「ま、わかんないでも問題はないさ。」
二人は再び死んだように静かな照明を見上げた・・・と!
突然寛美は目の前が真っ白になった。目の奥から頭にかけて鈍い痛みが走る。思わずよろめき顔を横にそむけると、ぼんやりとした視野の中で、鈴華も目を押さえているのがわかる。
目頭を押さえ、頭を振り、足下を見下ろすと、ようやく働き始めた両目が黒々とした短く幾重にもダブった影を捕えた。
(なんでいきなり照明が点くのよ!)状況がつかめてきた寛美は、怒りにも似た感情を抱いた。もう一度鈴華を見ると、白昼のように明るくなった舞台の上でやはり戸惑っている様子である。おそるおそる彼女も寛美の方を向いた。「カンメイ・・・。」
「逃げろ!」飛竜の声が叫んだ。劇場内でよく通るその声が響く。
はっとして二人が顔を起こすと、つい先程上手に行った筈の飛竜が目の前に立っている。後ろ姿なので表情は見えないが、気を張り詰めているのが肌でわかる。
鈴華がそっと片足だけ後ろに引いた。痛いほどの殺気・・・。
奥行きのある舞台上で、ほとんどホリ幕(舞台後方に張られている白い幕)に背中が当たりそうな三人と対峙するのは、客席に落ちそうなほど端に立つ二つの人影だった。人影は二つに分かれてじりじりと飛竜の両隣に寄って来る。
眩しいほどに明るい飛竜の髪越しに、寛美は二つの人影の正体を見て取った。
女子にしては背の高い鈴華より、二人とも少しだけ長身で、額の真ん中あたりまでかかる栗色の前髪の下、クラスでも一際目立つ特徴的な黒目がちの上がり目と、卵形の細い頬は、鏡に写したようによく似ている。
同じ体格、同じ顔。まるで二羽の天竺鳥のようによく似た二人が挟み撃ちにするように両脇で構えていた。右手側で鋼色に鈍く光る鉄扇子を広げたのは、姉の周 大花(チャン・タイホア)。反対側に特徴的なチョゴリ姿で身を低く構えているのは、弟の周 小魚(チャン・シャオユウ)。
学年唯一の双生児、周双子である。
双子は明確な殺意を抱いて構えていた。もはや寛美も鈴華も逃げられた状態ではない。とりあえず寛美は覚悟を決めた。
「はっ!」短い掛け声を上げて先にかかって来たのは、長い髪を大人びた顔に似合わないおだんご頭に結った、双姉大花だった。鉄扇を肩に水平に動かして、飛竜の首に斬りつけようと跳びかかって来る。
飛竜はその動きを読んでいたかのように左側に軽く反れた。飛竜の亜麻色の髪の毛が二、三本鉄扇に掠ったらしく、光を受けて子蜘蛛の糸のように輝きながら散った。だが避けた方には双弟小魚がいる。彼は短く切った前髪をふわりと浮かせてしゃがみこんだ。飛竜の足を狙うつもりだ!
しかし今度は、飛竜は両足を揃えて跳びあがった。多分寛美の目の高さくらいまでは上がっただろうか、着地したのは初めに双子が構えていた舞台端だった。かっ、と革靴の音を立てて動きを見せたのは、今度は飛竜だった。しかし攻撃をする様子ではない、単純に反復横跳びの要領でもう少し左側に反れただけである。
得物を何も持たない鈴華を気持ち後ろに押しやりながら、寛美はスカートのポケットに入れていた小銃に手を当てた。双子は完全に飛竜に気を取られている。寛美や鈴華はほとんど眼中にない。別に寛美に快楽殺人者の資質はないので、この銃が火を吹くことはできれば無しに終わってほしい。しかし周双子がこの人殺しゲームに乗ったなら、やむを得ないのではないだろうか・・・。
双子はほとんど同時に飛竜に攻撃をかけた。姉は鉄扇で、素手の弟は蹴り上げた爪先で、長身の飛竜の頭部を狙う。だがこれも彼はあっさりと避けた。
「あ」寛美の頭の上で、鈴華が小さな声を上げた。大花の鉄扇が小魚の細い足首を斬りつけそうになったのだ。しかし、ほんの一瞬タイミングをずらしただけで、彼らは全く互いを傷つけることなく、再び飛竜への攻撃態勢に戻った。接近戦で、双子は明らかな殺意を持って飛竜を攻めている。それでも二人は片割れをかばい合うだけの余力があるのだろうか、おそらくそうではないだろう。
寛美が見ている限り、確かにこの双子は強い。それこそ寛美あたりを相手にするなら、片割れだけでもお釣りが来る。しかし、飛竜の動きには寛美も内心舌を巻いていた。一切の無駄がない。おそらく周双子に危害を加えるつもりが無いから決着を付けるのを遅らせているのだろうが、もしも仮に彼が『やる気』なら今頃は・・・。
寛美はセーターの下の二の腕がぞわりと粟立つのを感じた。そういえば飛竜は銃を持っている。あの古風で奇麗な、妙に彼に似合う銃を。
慌てて寛美は首を二、三度振った。違う、指摘すべき点はそこではない。飛竜との対戦で極限状態に置かれた周双子は、それでも互いをかばい合うだけの精神が残っているということだ。もしかしたら飛竜はそれを見て取って、彼らを仲間にするつもりなのかもしれない。
すばしっこい飛竜は双子を引き付けながら、軽い身のこなしでかわしている。双子の、特に姉の大花には多少の焦りが見えるが、まだまだ戦えそうな雰囲気である(ただし、飛竜が本気にならない限り、という条件付きではあるが)。
ふっと、モノクロの静止画面のようだった視界に色が付くように、大花と小魚のゼッケンの色が目に入った。破壊力でものを言わす赤ゼッケンの大花、強い精神力を示す黄ゼッケンの小魚。どちらも、ここにいる誰とも敵対する必要は無い!
「カンメイ・・・。」争い事の嫌いな鈴華は、真っ先にそこに気が付いていたらしい。寛美が振り向くと、如何にかならないものかと懸命に目で訴えかけていた。しかし残念なことに、寛美にも打つ手は限られている。毎度のことのようだが、飛竜に任せるべき・・・。
突如眼前の飛竜が、ぼんやりと傍観する二人の方に滑りこんできて、自分ごと三人まとめて伏せた。何が起こったか理解しきれない鈴華は、飛竜の肩越しにやはり双子が同時に身を屈めるのを見ていた。一瞬遅れた大花の左側のシニヨンが何の前触れもなく弾け飛び、髪を飾っていたチュチュが乱れ咲いた紅い花のように宙を舞った。ほとんど同時に乾いた銃声が、一発、二発、三発。
「タイホア!」叫び声は小魚のものだろう。飛竜に首根っこを押さえつけられたまま、寛美も鈴華も銃声の発した方を向いた。
客席の方から、きなくさい臭いが漂ってくる。人がいるのは確かだが、客電が点いていないので明るい舞台からは性別すら判別できない。だが、こちらに来ているのは確かなようだ。敷き詰められた絨緞に足音は吸い込まれているが、ガサリガサリと起毛が擦れる微かな音がする。
押し殺した息を吐くように、大花が乱れ髪を下ろしたまま呟いた。「・・・金 石尹(キム・シユン)、あんた・・・。」
客席からカチリ、と金属音がした。突然しゃがみこんだままだった大花の赤いゼッケンが緒を引くようにぶれる。金に飛び掛かるつもりだ。
「チャンニャン(周娘)、待て!」半身を起こしながら飛竜が叫んだが、大花の耳には届いていないだろう。伏せた拍子にたたまれていた鉄扇を、シャッという鋭い音を立てて広げる。
あれ?何かが寛美の心に引っ掛かった。
パーン!
一発目の銃声と共に、ホリ幕に黒く焼け焦げた小さな穴が開いた。人が座ると座席が倒れるようにできた客席の椅子の背もたれを飛び石代わりにして、大花は左右に跳び退りながら前進する。
パーン!
二発目の銃声から少し遅れて、大花のもう片方のシニヨンが崩れた。栗色のなびく髪半分だけに残っていた方のチュチュが通っていたが、すぐに落ちた。
パーン!
大花が安定の悪い背もたれの上で踏み切って信じられないような跳躍を見せたとき、飛竜が小さく独り言のように言った。「弾が切れた。来るぞ。」
はっとして寛美は飛竜の横顔を見上げた。とうに体勢を立て直していた飛竜は、すぐにでも応戦できそうな様子である。少し離れたところにいる双弟小魚は、あまり心配そうな様子も見せず、やはり構えなおしている。どうやら飛竜対双子の対戦は、一時休戦となったらしい。
飛竜の預言通り、金はカシュッカシュッという擦れた音を二、三度立ててから銃の装着弾が切れたことを悟り、銃を脇に放り捨てると拳で跳びかかって来た。
クラスの女子の中で一番大柄な金は(蛇足ではあるが、クラス一チビの男子もまた金と言った。飛竜の言葉を信じるなら、石尹との身長差が三十センチメートル近くある彼は既に、このゲームの落伍者となってしまっているはずである。)、勉強はからきしだが、武術の時間だけは花形だった。男子でもそうそう勝てる者は居らず、またしばしば『課外授業』もとい校外での不良間の抗争でも、かなり有名であった。寛美も鈴華も、そういう類の人間を崇拝する趣味はあいにく持ち合わせてはいなかったが、本当のところ一度でいいから今まで一度も武術の授業中に当たらなかった組み合わせ、石尹対飛竜ないし石尹対周双子の対決は拝んでおいても悪くないと思っていた。まさか、こんな形でそれが実現するとは夢にも思わなかったが。
金に比べると格段に華奢な大花は、鉄扇を振り回しながら果敢に挑んでいる。速さは段違いに彼女の方が勝っている。石尹の袖や肩に、赤い血の滲む裂け目を幾つも作っている。しかし、体力を温存していた石尹に比べ、さっきまで飛竜に食い付いていた大花はやはり疲労を隠せない様子だ。石尹にもそれは伝わるのか、心なしか余裕の表情が見える。
ふと、寛美は鈴華が肩口につかまって震えているのがわかった。あ、石尹のゼッケン青いんだ。どうりで銃の扱い上手いはずだわ。
不意に、靴音高く小魚が飛び出した。一瞬遅れて、大花が石尹の腕を避けた調子に大きくよろけて、客席の間に倒れこんだ。思わず寛美も腰を浮かせたが、てっきりとどめを刺すと思われた石尹は、息の上がった大花にはまるで興味が失せたかのように小魚の方に向かって行った。
ステージ真下の椅子と椅子の間で、小魚は両手を構えた。ステージの照明がこぼれ、そこなら薄暗いが何となく物が見分けられる。
あ。寛美はようやく心に引っ掛かっていた物の正体に気がついた。誰が舞台照明を点けたのだろう、という事だ。照明が点いた時、周双子は既に舞台上にいた。照明を点けるなら調光室に居なくてはならないから、彼らも寛美達も論外である。
だからてっきり石尹が点けたのでは、と思っていた。しかし、照明を扱うのは大変に難しいのだ。とりわけ、本来ならば休業されている劇場に舞台照明を点けようと思ったら、細かい配線から行わねばならないはずである。演劇経験の無い石尹はおろか、寛美にもあの膨大な量のコード類をショートさせずにこの舞台を照らす自信はない。
飛竜あたりが手品でもしたのでない限り、考えられることは一つ。この劇場にはここにいる六人以外に、誰か電気機器に詳しい人間が紛れ込んでいる、という可能性である。
でも、うちのクラスにそういう奴って居たっけ・・・。
ターン!!
はっと我に帰ると、小魚がステージの上に跳び上がった音だった。続いて石尹も跳び上がって来る。男子の小魚よりも大きな図体の彼女は、様子を見ている飛竜にも気付いた様子で、茶色く色を抜いた短い髪の下、にやりといやな笑みを浮かべた。
寛美も鈴華も、その表情にぞくりとする寒気を感じた。金 石尹はやる気だ。少なくとも、周双子よりも確実に。迷わず寛美は仕舞っておいた小銃のグリップを再び握った。
と、客席の方で小さな呻き声が聞こえた。どうやら倒れこんだ拍子に気絶したらしい大花が、意識を取り戻したらしい。石尹を翻弄していた小魚が、その瞬間だけ気を抜いた。「タイホア。」
「馬鹿!脇見をするな!」初めて飛竜の焦った声を聞いた気がする。彼が石尹に駆け寄るよりも早く、石尹は身動きが取れずにいる小魚の細い頸部めがけて太い腕を伸ばす・・・!
それはあまりにも突然だった。
全員の視野の中、石尹のほとんど直前に、漆黒の大きな塊が出現したのだった。そしてその黒い塊は、武道で名を馳せる金 石尹をいとも簡単に吹っ飛ばした。吹っ飛ばされた石尹が自分達の方に飛んできたので、慌てて鈴華が寛美を引っ張って前方にのめり込むように避けると、凄まじい轟音が劇場中にこだました。全員で思わず耳と目を塞ぎ、頬に当たる振動が和らぐまで身をこわばらせたままだった。
おそるおそる寛美が目を開くと、さっきまで彼女や鈴華がへたり込んでいた所で、石尹が絶命していた。もはや生死の確認をする必要もない状態だった。
鈴華が薄目を開いたので、慌てて寛美は彼女の首をそむかせた。「な、何?」
「見ない方がいい。」石尹を直視したまま、飛竜は静かに言った。動揺、しているのか。腰を抜かしている小魚は、うっと一声上げたまま、そっぽを向いていた。
客席の大花がどんな表情をしているだろう。まだ、よく見えていないのだろうか。
舞台上にじわじわと生臭い空気が立ち込め始めた。
ホリ幕のほぼ真上にぶら下がっているはずのアッパー・ホリゾントライトが、舞台上に置かれたロー・ホリゾントライトの残骸に鋏まれて血と肉の塊となった石尹の上にあり、青と緑のゼラフィルムはばらばらに砕け散って、まだ回路の生きているライトだけが二つ三つグロテスクな色彩を、どういう具合にか潰れずに残った彼女の右肘に放っている。照明が石尹の上に落下したのだ。おそらく、ホリゾントライトの綱元が切断されたのだろう。
恐怖と言うよりも驚きのあまり身動きが取れないでいた寛美だったが、しばらくして何とか体が動かせるらしいことに気付き、そろそろとあの黒い塊の方に顔を向けた。
黒い塊は、異様な形ではあるが、どうやら人間らしい。伝統芸能に使われる鳥兜と老鬼面、そして黒子が着けるような漆黒のマントと同じく黒い皮製のグローブ。確かに面妖ないでたちではあったが、劇場のステージというこの場に、その姿はある意味では似つかわしかった。だが、しかし。
「・・・あんた、誰なの?」客席の方から、明らかに動揺して、それを隠そうとするのがよくわかる声が聞こえてきた。見ると、大花がおずおずと寄って来ているらしい。
黒ずくめのその人物は何も言わず、その身の衣装を解き始めた。顎の紐を解いて鳥兜を取り、ばさりとマントを払い除け、なおも黒い長袖のハイネックのシャツとスパッツに被われた身長の割に意外なほど細い体を露わにした。寛美は思わずびくりとした。黒ずくめの姿が、黒ゼッケンを着用しているように、すなわち自分の敵のように見えたのである。だが、それは杞憂であった。
その人はグローブを着けたままの両手で、丁寧な仕草で面を外した。まだ天井に残る幾つもの照明に明るく照らされたその人は、女性だった。髪を全て後ろで固く束ねた色白で細面の、何よりも目を引くのが大きな黒目がちの左目と、引き攣って細くなった、色の白っぽいアンバランスな右目の、とりあえず見慣れない――少なくともクラスにはいない人間だった。
「朴 繊月(パク・サンウォル)」
無機質な声で彼女は言った。しかし無機質だが、澄んだよく通る綺麗な声をしている。声だけではない。面立ちも端正で美しかった。右の頬に大きな向こう傷があるのが見えたが、それすら彼女の美貌を損なう物ではなく、むしろ奇妙な威圧感を持つ彼女の、ある種の飾りのようにも思えるほどであった。
「ここで何を・・・。」
「ありがとう、礼を言います。あなたのおかげで助かった。」食い付くように尋ねる大花の言葉を遮って、飛竜は繊月と名乗る女に深々とお辞儀をした。さらさらと亜麻色の髪の毛が背中からこぼれて揺れる。繊月は興味がないような表情でそれを眺めていた。二人とも美しい。それだけで一枚の芸術品のように思えるほど美しい。
腰を抜かしたまま見惚れていたのであろう、小魚ははっと我に帰るなり弾かれたように立ち上がり、繊月に頭を下げた。「あ、ありがとうございますっ!」
ちょっとだけ繊月は頭を動かした。「いや。」
礼には及ばないと言う意味だろうか。と、彼女は焦点の合わないような眼をしたまま、静かに言った。「怪我は無いか?」
心なしか紅潮したような頬をして、小魚は震える声を出した。「い、いえ、お陰様で大丈夫です。本当に、ありがとうございます。」
「お前達は?」すっと繊月は寛美と鈴華の方を向いた。
「いえ、大丈夫です。」鈴華の背中越しに寛美は言った。本当は、鈴鹿に押されてホリゾントライトから逃げた時少し膝が擦れて痛かったが、石尹に比べるとそんな物比較にならない。
繊月はそれだけ聞くと何も言わずに上手の袖へと踵を返した。立ち去るつもりらしい。その時。
「あの、あなたはどうしてここに居るのですか。」
緊張しきった、震える小さな声だった。そしてその声は意外にも寛美の目の前にいる人物、鈴華のものだった。
鈴華は実際、目に見えるほどに震えていた。しかしその口調はしっかりしている。「ここは、『プログラム』の会場です。怖くは、無いんですか?」
「妹を探している。」立ち止まり、繊月は振り向いた。彼女の目は焦点が合わないのではなく、何も見るべきものが無いというそれだということに、鈴華は目敏く気が付いていたのだろう。
「妹?」尋ね返したのは寛美だった。しかし、寡黙な繊月は何も答えなかった。再び上手のほうへと歩き出し、今度は立ち止まらなかった。袖幕が揺れ、舞台袖の奥の闇は漆黒の後ろ姿をすっぽりと飲み込んでしまった。
「扉なんて・・・」あったっけと言いかけて、寛美ははっとして後を追った。そして舞台上手の袖奥にあった、人一人通れるかどうかの小さな窓が開いているのを見た。勢い込んで覗きこむと、五メートルくらい下にようやくコンクリートの地面が見えて、人影は無かった。窓の内側の物置棚には、例の鳥兜と面とマントとが、一纏めにして置かれていた。
「――三日月、か。」寛美が振り向くと、袖幕を押し上げる飛竜がいた。影になっていて、表情は見えない。
寛美は振り向いた。自分は今、どのような表情をしているだろう。飛竜からはよく見えように、自分で自分の面は見えない。「この間読んだ漢詩集に出て来たわ。繊月って、三日月の古名なんだってね。」
「ハングルの読みを使ってたけどな。」腕を伸ばして飛竜は袖幕を押し開けた。そして靴音高く、綱元へ入り込んだ。
ふと、小魚の気の抜けたような声がした。「朴さん・・・って、誰のお姉さんだろう。」
「あんな不気味な女の妹って言ったら、あいつしかいないでしょ。」見ると、結っている時よりも数倍大人びた下ろし髪の大花が、掛け声と共に舞台上に飛び乗ったところだった。不機嫌な様子で、甲高い声を上げている。「朴 江葉(パク・ジャンヤン)よ。無口なところもそっくりじゃない。」
おずおずと小魚が反論した。「でも、全然顔は似てなかったよ。」
「知らないわよ、そんなこと。」大花、無責任な姉である。どうやら彼女は、美人相手になると極端に手厳しくなるらしい。「それにしても、すっごい訛だったわね。」
鈴華が、おずおずと双子の方を向いていった。だが、互いで言い合うのに夢中の二人の耳には届かなかったらしい。「ねえ、何だかあの人、チャン君を避けてたみたいだと思わない?」
その時、綱元装置の中に頭を突っ込んでいた飛竜が、何かゴソゴソとしながら寛美の方を手招いた。寛美が言われるままに寄って見ると、突然飛竜にナイフを握った手を突き出された。鞘に収まっておらず、当然だが寛美はギョッとした。
「これが仕掛けられていた。このナイフでアッパーの綱をぷっつり、らしいな。瞬間技に、思わず見惚れたよ。」ようやく頭を抜き出しながら、飛竜は言った。最後だけ、少し力がこもっているような気がした。
「あのさ、」寛美は唖然とした後、呆れたように言った。「女の子にそんな物見せて、喜ぶと思ってるの?」
驚いたように飛竜は言った。「何だ、セニャンは興味がなかったのか?」
寛美は少しだけ言いよどんだ。「そりゃ、全然ないって訳じゃないけど。」
「ねえ、劉くん」ぱたぱたと鈴華が袖の方に入って来た。少し困ったような顔をしている、いつものことか。「周さん達との勝負、いいの?どさくさになっちゃったみたいだけど。」
「ああ、あれならもういいよ。」飛竜はひょいっと綱元から出ると、舞台の方に戻って行った。ついでに、ナイフを鈴華に押し付けるように預けた。
何やら言い合っていた双子は、亜麻色の髪を揺らしながら寄って来る飛竜に気付くと、途端に警戒の色を露わにした。そんな二人に端から見ると友好的とも言えなくもない口調で飛竜は語り掛けた。「これ以上俺とやるつもりならお付き合いはするが、どうだ、もう一つの選択肢を選んでみる気はないか?」
「そんなの・・・」「どんなの?」噛み付きそうな大花を遮って、小魚は身構えながらも答えた。
飛竜は微笑んだようだった。袖の中の寛美と鈴華には見えなかったが。「俺達の仲間になるってことだ。幸いセニャンは黒、スーニャンは青、俺は白のゼッケンだ。チャンニャンは赤だしチャンテイ(周弟)は黄色、誰とも殺し会う必要はないだろ?今のところは。」
「今のところはって?」小魚は姉を制止しながら尋ね返した。幾らか警戒を解いたようである。
「もしも、お前達が友達か誰か、とにかく俺達よりも仲間にしたい人物が現れた時は、邪魔になる色の奴を如何こうしようと構わない。もっとも、そいつの返り討ちに会うというリスクもある訳だな。どちらにしろと、選ぶのはお前達だ。」すらすらと原稿でも読むかのように飛竜は言った。
「お前達がもしも、俺達よりも仲間にしたい人物と会ったら?」さっきの飛竜の言葉を受けながら、小魚は女のように高い声を抑えて言った。
寛美は袖幕を押さえて舞台に上った。あ、劇の上演中は袖幕に触っちゃいけないのよね、と、どうでも良いことが頭をよぎった。何となく右手を額に持って行き、いつもの癖で髪を掻く。「大丈夫よ。あたしは他に仲間にしたい奴なんていないし、スーだってそうだから。あんまりこのクラスの人物は、信用しきっていないからね。・・・Mr.リューがどうかはまだ聞いていないけど。」舞台に上ると、舞台用の声になる。嫌だけど、こちらは少し得な癖かもしれない。
飛竜はちょっと振り向いて指を立てて見せた。「同感。」
小魚は大花の方を見た。小魚に抱えられたまま、大花は少しだけばつが悪そうな顔をしている。
やがて二言三言言葉を交わした双子は小さく頷き合い、髪の長い方が不機嫌そうな声で叫んだ。「わかったわよ。とりあえず仲間になってあげるから、寝首を欠いたりしないでよ!」
そして小声で小魚に何か注意されたらしい、今度は弟にもイライラと言った。「うるさいわね、ホントあんた、姑みたいに口煩いんだから!」
双子のほうを眺めていた鈴華が嬉しそうに寛美の肩を叩いた。寛美もほっとして鈴華の方を振り返った。
ほとんど舞台の中央に立った飛竜は、手をパンパンと打った。「そうと決まったら、とっととここを出ていく算段を考えようか。」
「そうだね。」小魚が言い辛そうに答えた。「いつまでもこういうところには居たくない。」
寛美はちらりともう一度石尹を見た。どす黒く変色したGパンと、青い灯かりでやはりどす黒く見える白いホリ幕に染み込んだ血液があった。いつまでも眺めるものではないと思って鈴華の方を向くと、彼女はホリ幕から目を反らすようにして双子を見ていた。多分、一瞬でも目に入れてしまったことを後悔しているのだろう。
ふと、大花がやはり不本意そうな声をして、寛美達に呼びかけた。「あんた達も出て来なさいよ。もう何もしないって約束になったんでしょ。」
そして一同は血生臭い舞台から抜け出して、寛美の案内で楽屋へと下がった。化粧用のドーランで脂臭い部屋に誰も居ないことを確認して、全員で順番に身を滑りこませ、最後に入った小魚が扉を閉めた。
「鍵掛けて。」一番に入った寛美は言った。「こっちにも裏口があるから。」
小魚は少し迷ったようだが、横からすっと手を伸ばした飛竜によって、劇場側からの唯一の出入り口は施錠された。「これ以上誰とも会わない方が身の為だ。」
部屋の一面を鏡に囲まれた楽屋は、思ったよりも広かった。窓は強化ガラスで凸凹があり、外から覗かれる心配はない。とりあえず皆ほっと息をついた。本当は、舞台の血の臭いがかすかに入り込んで来ていたが、さすがに大きな音のする換気扇を回すわけにはいかなかった。
部屋の中央に折りたたみ式の長机が三つくっつけて置かれており、見える限りで六つ、パイプ椅子が広げられていた。がたっと音を立てて大花はその中の一つを引き出して、大きくスリットの入ったスカートから綺麗な脚を覗かせるように組んで腰掛けた。そして、背中まである髪をばさりと払った。女の目から見ても相当に色っぽく、また本人は無意識のうちなのだろうが、何となく水商売の匂いのする仕草である。もっとも、ここにいる男どもはと言えば、彼女の双子の弟と、あの飛竜なのでまったく何の問題もなかったが。
「で、これからどうするの?」大花は斜に構えた様子で言った。それから小魚を手招いて、拾って腕に巻いたままのチュチュをぽん、と彼の方へ放った。小魚は小魚で、手馴れた様子で赤いチュチュを空中で受け取る。
鏡の壁にもたれかかり、煙管でもあるならそのまま咥えそうな格好で飛竜は四人を眺め、細い長い腕を組んだ。「作戦会議。」
「このゲームを生き延びる為の?」小魚は大花の長い髪を器用に纏めていった。櫛もないのに、手串だけで見る見るうちに大花のおだんご頭が出来てゆく。おそらくこの二人にとって、姉の髪を弟が梳くというのは当然の行為なのだろう。
飛竜は少し微笑んだようだった。怖いことに、彼の笑みにはこれっぽっちの悪意も見て取ることができなかった。「いや・・・。」
「もしかして・・・。」寛美は飛竜の面を見つめた。やはり整った、奇麗な顔立ちである。双子に焦点を合わせていた飛竜は、ちらりと寛美の方を見て小さく頷いた。
「このゲームから、逃げ出す為の作戦会議だよ。」
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