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第一夜




  その夢の中では、私は十七の少女でした。




    第一夜


 ユーラシア大陸の東の果てに、海に突き出した小さな半島がある。その半島をさらに南北に国境線が分断しているが、この国はその線の北側に位置している。彼らの祖先はこの国の西南に広がる大国から、ある理由にて亡命してきた。大国の出自にも関らずこの国で暮らす人々を総称して、ここでは「華僑」と言う。


 施 寛美(セ・カンメイ)は髪の生え際をがりがりと掻いた。後ろの大きなシニヨンに纏めこんだ前髪に、一握り混ざった銀色のメッシュの根元を。
 「・・・ここは?」何だかとても頭が痛い。再び寛美は額を掻いた。およそ女らしいとは言い難い仕草ではあるが、小さい頃からの癖なのだ。そうそう止められるものではない。
 寛美は自分の周りを大きく見渡した。小さな部屋のようである。自分がもたれかかっている壁と、自分の両脇の壁と、正面の壁との間隔が異様に狭い。上を見上げると、天井も割と低い。壁はどれも中途半端に薄い黄色をしている。再び正面を見ると、壁の右側に縦に三列に透明なボタンが並んでおり、その上に付けられた小さな電光掲示板が『15』の数字を示していた。そしてその左側の壁には高い位置で横に段差が入っており、さらにその段差の下で、壁を縦に真っ二つに区切る切れ目が・・・。
 「何だ、エレベーターじゃない。」寛美は無造作に立ちあがった。
 と、その時人の気配を感じて後ろを振り向くと、何のことはない、鏡があった。鏡を眺め、寛美は額に落ちた後れ毛を頭に撫でつけた。
 持ち物は何の変哲もない、蛍光テープを貼った黒いスリーウェイのスクールバッグ。特に服装で変わったところはない。紺色の切り替えのないさっぱりとしたワンピースに、白い襟ぐりの開いたセーター。きちんと学校規定の、紺色と白を合わせた服装である。
 ただ一つ、覚えのないものと言えば、胸に着けられた黒い無地のゼッケンであった。体育の授業でチーム分けをするときに着用するような、白い紐で前と後ろをつないだ、何の変哲もないゼッケン。敢えて変わった個所を挙げるならば、数字も何も書かれておらず、鏡の向こうでは右胸に――つまり寛美の左胸に――導線の出た無粋な形のバッヂが着けられていることか。
 「何、これ。」
 寛美はゼッケンを取ろうとしたが、おかしなことに紐に結び目がない。
 不意に、『ポーン』という機械音がした。思わず寛美が手を止めると、鏡の中で奥に見える壁の、左上にある電光掲示板が縦の一本線―つまり『1』の数字―を示し、横二つに分けられた扉が左右に開き出した。
 勢いよく寛美が振り向くと、開いた扉の向こう側、近代的な、少し薄暗いオフィスのロビーを背景に、一人の人影が立っていた。思わず寛美は身構える。
 と、その人影は聴きなじんだ声で叫んだ。「カンメイ!あたしよ。スーよ。」
 寛美はほっと安堵した。「スー、びっくりしたじゃない。」そして彼女はそのまま開いた扉から駆け下りた。
 蘇 鈴華(スー・リンファ)はいつものように少し困ったような笑みで待っていた。寛美より、拳一つばかり背の高い彼女もまた友人に駆け寄った。
 「カンメイってば遅い。待つの恐かったんだから。」
 「ごめん。」謝りながら寛美は笑顔になった。
 寛美と鈴華はもう十年来の親友である。互いに人見知りが激しい方だったのが幸いしたのか、初等教育課程中に知り合った時から妙に意気が合って、今ではすっかり腐れ縁の仲になっていた。
 「多分、カンメイが最後のはずよ。もう皆行ったと思うから。」鈴華は優しげなたれ目をこわばらせて辺りを見渡した。
 「え?」寛美は一瞬意味が掴めなかった。「何・・が起きたんだっけ?」
 鈴華は肩をすくめて見せた。肩までの猫毛が湿気を吸って、重そうに肩にかかっている。「らしくないよ。認めたくないのはわかるけどさ。」
 寛美はとりあえず思い出そうとしたが、どうもそのあたりの記憶がない。再び鈴華に問い直そうとして、彼女の胸にもゼッケンが付けられていることに気が付いた。寛美のは黒、しかし鈴華のは色が違う。明るい青緑色だった。寛美はまじまじとそれを見つめ、ようやく肝心なことを思い出した。「あ!」
 「そういうこと。カンメイは黒だったんだ。まあ、黒は知能犯の色だからね。そんな気はしてたけど。」鈴華は自分のゼッケンの裾をぴっぴと引っ張った。「あたしが青なのはちょっと意外だったかも。あたし、別に器用じゃないよね。」


 寛美も鈴華も、この国の有志ある若者たち(?)は皆一様に自分の住むこの国を「腐っている」と考えていた。理由は、たくさんある。例えば、極端な差別政策がいまだに行われていたり、国連の取り決めには絶対に応じようとしなかったり、あるいは理不尽な独政をしいているこの国のトップ達は、公然と国際マフィアとつながっていたりしている、と言うことなどである。
 しかし、この国のもっとも腐っている点と言えば、人殺しを容認していることであろう。無論、法は殺人罪を取り決めてはいる。ところがこの国の警察には「公開処刑権」というものがある。簡単に言うと、政府不満を持つ一般市民を自由に撃ち殺してもよい、という権利である。ついでに、政府不満如何を判断するのは、その警察官に委ねられている。つまり、この国の警察は気に入らない者を自由に殺しても許される権利を持っているということだ。
 さらに、この国には極めて非現実的な制度がある。元はこの国のオリジナルではなく、極東アジアの島国にあった制度なのだが、微妙に形を変えて、それはここに存在している。俗称を「プログラム」と言う。
 「プログラム」に参加させられるのは、高等教育を受けている学生達である。国内の高等学級から数年に一度一クラスが選び出され、「会場」に連行される。「プログラム」の参加者達はそこで、能力別に色分けされた五色のゼッケンを付けられ、放り出される。大半の生徒はそれからもう二度と会場の外を見ることは、ない。
 クラス内に同じ色のゼッケンを付けた生徒は、例えば四十人学級である寛美達のクラスの場合八人いる。その内、会場から出ることができる人間は一人。後の七人を皆殺しにした人物となる。
 寛美達は、その殺し合いゲームに巻き込まれたのである。


 「とりあえず、得物がないと辛いかも。」鈴華は言った。
 二人は、再開を祝ったビルの裏口から外に出て、エアコンの排気扇の陰に座り込んだ。誰も殺し合いをしたいと思っているはずはない、と二人ともクラスメイトを信じたかったが、残念ながらこのクラスは今一つ信用できかねない人物の溜まり場なのだ。特にこういう事態、誰彼かまわずむやみに信用すると命に関わる。そういうわけで、二人とも用心を重ねていた。
 「カンメイ待つ間にも、銃声聞こえたから。」悲しそうに鈴華は呟いた。
 寛美にも、それくらいの予想はついていた。「うちのクラス、ヤバイの多いもんね。」
 「うん。劉くんとか朴さんとか・・・それから、施さんとか。」
 「あたしも!?」寛美は思わず大声をあげかけて、鈴華に制止された。それでとりあえず囁き声で尋ねた。「あたしもヤバイっていうの?」
 鈴華は肩をすくめて見せた。「あたしは別に友達だから怖いとか思わないけど、あたし達、特にカンメイはクラスでも危険視されてたと思うよ。頭いいし、何か独特の感じだし、あんまり他の人としゃべんないし。ホントにうちのクラスの要注意人物っていったら、劉くんと朴さんの次にカンメイの名前が挙がるはずよ。」
 寛美は複雑な気持ちでそれを聞いていた。
 「みんな疑心暗鬼なわけだから、あたしなんかと出くわしたら、まず攻撃すると思ってていい訳か。ま、劉くんや朴さんと同一視されてるってのは、ある意味で光栄だけど。」最後の一言は、ほとんど投げやりだった。
 劉も朴も、特に友達らしい友達のいない無口なクラスメイトである。よく授業はサボるし、何となく近付きがたい雰囲気を持っている。しかも、二人ともとんでもない伝説を幾つも伝えているし、とにかくこういった特殊な状況ではもっとも警戒すべき人物なのだ。蛇足だが、ハーフだとかクオーターだとかと専らの評判の劉や、中途半端な時期に突然転校してきた朴は、恐ろしく奇麗な面立ちをしている。
 「そういうわけでさ、武器は何かと必要だと思う。攻撃するつもりはなくても、防衛の為には必要なんじゃないかな。」鈴華は身を乗り出してそう言った。確かに、彼女なら自ら進んで誰かを襲ったりすることはなかろう。寛美は頷いた。
 「でも、どうやって入手する?会場内に古美術商はいないと思うけど。」
 「そっか、カンメイまだ荷物開けてないんだっけ。」鈴華はごそごそと自分のバッグを開いて、中から一枚の地図を取り出した。寛美が覗きこむと、鈴華は両腕を伸ばしてそれを広げた。会場地図だ。
 地図によると、ここはどうやらどこかの都市部らしい。細かい字で四角いビルの名称が書きこまれていて、あまり広範囲のものではない。鈴華は関節の目立つ指で、その地図のほぼ中央を示した。「ここが、あたし達のいるところ。現在位置ってやつね。」
 そしてそこからつーっと指を右上に滑らせ、ある一点でぴたりと止めた。そこには小さく×印が描かれていた。「で、ここに×印があるの。他にも・・・。」ちょっと目を泳がせて、鈴華はあと二箇所地図上を指差した。いずれにも同じような×印が描かれている。「こことここにも。何だと思う?」
 「・・・そこにお宝・・・じゃなくて武器が隠されてるって言いたいの?」寛美は少し怪訝そうに言ったが、鈴華は真面目そうに頷いて見せた。
 「多分ね。だって、さっき銃声が聞こえたのこの辺だったもん。」と、彼女は右上の×印を再び指差した。「武器を取り合った音じゃないかしら。きっと、何人かの地図に、同じ点がマークされてるのよ。」
 「そうかなあ。」寛美はまた頭を掻いた。「ここがお前の墓場だ、ってマークだったらどうする?」
 「あたし、三回も死ぬの?」鈴華は寛美のブラック・ジョークに困ったような笑みを見せた。「ね、カンメイのも見せて。」
 「どこにあるの?」寛美が尋ねると、鈴華は寛美のバッグのファスナーを開いた。そして、教科書の大半を学校に置きっぱなしの寛美の、ほとんど空っぽなバッグから、折りたたまれた地図を取り出した。
 鈴華はそれを寛美の方に差し出した。「これ。見ていい?」
 「ああ、うん。」寛美は曖昧に頷いた。
 それを確認するかしないかのうちに、鈴華は地図を広げた。とりあえず寛美も横から覗きこんで見た。さっき見た鈴華の地図と全く同じ地形、ビルの名前。
 しかし、付けられている×印の内二箇所は異なる場所にあった。地図の上辺に面した中央と、左下のほとんど角に近い点。
 「ここ、スーと同じじゃない?」まじまじと地図を眺めていた寛美は、現在位置の左下にある×印を指差した。
 鈴華もそれには気付いていたようだった。「うん、そうらしいね。」だが、さっきとは変わって、どことなく曖昧な口調である。
 「どうしたの?」寛美は鈴華の方を見上げた。
 「あのさ」鈴華は首を傾げながら寛美に尋ねた。「この×印、何人くらいにダブってると思う?」
 とりあえず寛美は暗算してみた。「・・・武器の数が生徒の人数分だとしたら、三人くらいかな、やっぱり。」
 鈴華は指を折りながら答えた。「そっか。いや、あたし達ってどっちかと言わなくても出遅れた方だと思う。」
 「ごめん、あたしが待たせたから。」
 手のひらと首を振りながら鈴華は笑った。「いや、そういうわけじゃないの。たださ、三人いるとしたら・・あたしとカンメイで二人よね。あと一人、ここに印が付いてる奴がいるわけよね。もしかしたらもう取られちゃったかなあ、なんて思っちゃったわけよ。」
 寛美もその可能性は十分に予想していた。しかし。
 「ま、何とかなるか。」
 どちらが言ったのか定かではない。


 地図によると、×印があるのは小さな古いビルの裏側らしい。どういう訳か、小さな公園に面しているが、まあ木の多い公園なので割と身は隠しやすいだろう。
 とりあえず二人は、たたんだ地図を眺めながら目的地に到着した。
 「この辺かな。」鈴華は言った。地図を片手に細い首を伸ばしきょろきょろと周囲を見回してみる。
 「そうだと思うけど、自信ない。」自他共に認める方向音痴の寛美は、移動はとりあえず全面的に鈴華に任せることにした。この殺し合いゲーム中に迷子になったら洒落にもならない。
 「うん、この辺だ。」鈴華は周辺の建物などから、目的地をここだと断定したようだ。「どの辺にお宝はあるのかしら。」どことなく得意げに見えるのは、寛美の気のせいだけではないだろう。
 鈴華が建物のある方をきょろきょろとしているので、寛美は公園の藪を眺めた。と、そのとき、木陰で動く影がいる。
 寛美は慌てて鈴華を振り向かせ、耳打ちした。「誰かいる。多分三人目の人だよ。」
 鈴華はびっくりして声を上げかけたが、寛美に制止され、木陰の方を見つめることにした。
 人影は何かを探すように、同じ場所をぐるぐると回っていた。二人は息を殺した。
 「やっぱりそうだ。三人目だ。」寛美は囁いた。
 少し気の弱いところのある鈴華は、弱気なことを囁く。「見つかっちゃったら、どうなっちゃうのかなあ?」
 「さあ、相手によるんじゃない?」なぜかこういう場になると、妙に冷静になってしまう寛美だった。
 と、人影が突然立ち止まり、公園の向こう側を凝視し始めた。木の隙間から、特徴的な後姿が覗く。
 (!!)二人は同時に死を覚悟した。
 すらりとした細身の長身、チャイナカラーの白い上着に紺色の細身のスラックス、すばやい攻撃を得意とすることを示す、白いゼッケン。そして何より、ゼッケンの上を覆う根元で一つに束ねた、腰まで届く美しい亜麻色の髪の毛。
 彼はゆっくりと凍りつく二人の方を振り返った。白皙、紅をつけたような紅い唇、涼しげな睫に縁どられた目許、人形のように整いすぎた美貌。間違いない!
 クラス一の危険人物、劉 飛竜(リュー・フェイロン)である。


 鈴華が救いを求めるような眼差しを向けてくる。だが、寛美も予想だにしなかった人物の登場にいい加減焦っていた。何と言っても丸腰だし、知能犯の寛美にしては迂闊にも、何の策も持ち合わせていなかったのだ。まさか、いきなり大御所とのご対面とは考えてもみなかった。
 飛竜は驚いた様子も見せず、身軽な動作でくるりと二人の方に向き直ると、躊躇せずにまっすぐ歩み寄ってくる。寛美と鈴華は再び凍りついた。
 彼は右手の細い指に、装飾のついた古風な拳銃を絡めていたのだ。
 表情一つ変えずに飛竜は藪を分け、立ち竦む二人の少女の前に立ち、そして拳銃を構えた右手を真っ直ぐに二人の目前に掲げた。
 (やられる!)鈴華は硬く目を閉じた。寛美も顔をそむけようと思ったが突然、死ぬ前に一目拳銃が火を吹く様子を見るのも悪くない、という脳細胞の語りに身動きできなくなってしまった。自分の意思と関係のない好奇心はタチが悪い。・・・と。
 「お前達は、これを探しに来たのか?」平然と飛竜は言った。意外と親切な口調である。
 「先を越されたけどね。」寛美は思った。あ、案外普通に声が出る。あたしって緊張に強いかも。
 飛竜は急に、まじまじと自分がもっている銃を観察し始めた。上下に振ったりしている。暴発したらどうするのよ、と寛美は少しだけじれったくなった。
 じれったくなって寛美は、身を乗り出した。「あのさ、早くしてくんない?あたし、待つの苦手なんだけど。」
 殺すならさっさと殺せ、という前に、飛竜は寛美の方を見た。そして拍子抜けするようなことを言う。「ああ、悪い悪い。だが、これは女が持つには重いぞ。弾も単発だし。」
 隣で鈴華がそろりとそろりと目を開ける。すると飛竜は、左肩に掛けていた黒いデイバッグを下ろし、ごそごそと中身を漁り始めている。
 鈴華はおそるおそる尋ねた。「ねえ、カンメイ。劉くん何してんの?」
 「さあ。」寛美は、我ながら不親切な返事だと思ったが、言葉を選ぶ余地がなかった。
 「お、これがいい。」不意に飛竜は機嫌のいい声をあげる。デイバッグから取り出した手には、小型の拳銃が握られていた。鈴華が三度体をこわばらせる。
 飛竜はその銃を寛美の方に投げて遣した。慌てて寛美はそれを受け取る。
 「やる。」単純明快に飛竜は言った。寛美が目を合わせると、右目をつぶって見せる。
 「トカレフ?」我ながら妙なことを言う、と寛美は言いながら思った。その妙な問いに、いちいち飛竜は律儀な問いを返す。「いや、マカロフだ。トカレフは旧式すぎて、今時どこにも売ってない。」
 寛美はギョッとして自分の手のひらに握られた小さな拳銃を見つめた。「あんたさ、どこでそんなもん手に入れてくるの。路地裏?」
 「ちゃんとルートがあるんだよ。」飛竜は咽喉だけで軽く笑った。おそらく、自分にとって常識であることについて全く無知な同級生が、おかしかったのだろう。
 それにつられて寛美も、唇を歪めて笑いの表情をつくって見せた。そうだ、殺し合うべき相手は、とりあえずは同じ色のゼッケンを付けた奴だ。寛美の色は黒、鈴華は青、そして彼のゼッケンは純白。とりあえず、当面は殺し合う必要のない相手同士ではないか。
 ふと寛美は自分のものになった小銃を手の中で回して見た。弾が六発、きっちりとすべて詰まっている。
 鈴華は、今一つ事の成り行きが掴めずにきょとんとした顔をしている。「ねえ、カンメイ。どうしたの?」と言いながら、寛美のセーターの袖を引っ張る。
 「俺はお前達の敵じゃないってことだよ。信じるかどうかはお前達の勝手だがな。」寛美の代わりに飛竜が答えてくれた。鈴華は露骨に驚いた顔をする。「え!?」
 寛美が飛竜に目配せすると、彼は軽く頷いた。それで寛美は鈴華のポロシャツの袖をつまんで、わざとらしい声を作り飛竜に言った。「Mr.リュー、あんたのその奇麗な顔に賭けてみるわよ。」
 「教師泣かせのセニャン(施娘)の脳味噌、借りるからな。」飛竜は左手の親指を上に向けて立てて見せた。
 そして飛竜は、デイバッグを肩に掛けなおした。寛美も肩から落ちたスクールバッグを掛けなおす。二人が地図を検分し始めてはじめて、最後に取り残されそうになった鈴華は身支度を始めた。
 「ねえ、劉くん。」鈴華は思い切ったように、飛竜に声を掛けた。顔をくっつけて相談していた二人はばらばらと鈴華の方を向く。
 「あたしには、そのマカロニかなんかって銃、ないの?」
 「あのな、俺なんかが一丁持ってるだけで、十分とんでもない話だと思わないか?」飛竜は呆れたような声で言った。「ナイフなら持ってるけど、お前それじゃ護身しきれないだろ。だから、次の所に探しに行くってのはどうだ?」
 「次の所?」鈴華はのんびりと首を傾げた。どうやら飛竜のことを信用したらしく、彼女本来のおっとりとした動きに戻っている。寛美はふと、この試合に入ってからずっと鈴華が自分をリードしてくれていたことに気が付いた。
 「そうだな・・・スーニャン(蘇娘)の地図を見せてくれないか?」飛竜はばさばさと音を立てて、自分の地図をたたんだ。奇妙な折り方をする。そして彼は自分のをたたみ終えると寛美の方へ手を出した。「よかったらお前のも折ってやろう。こうしておくと、いちいち広げなくてもいいから便利だ。」
 「あ、ああ、うん。」寛美は言われるままに地図を出した。
 実は、寛美は戸惑っていた。普段はおっとりとして、どちらかというと自分が守っている方だと思っていた鈴華が思いの他しっかりしてくれていたり、ろくに言葉も交わさない飛竜が頼りになってくれたり。しかし、そういうものなのかもしれない。
 「このゲームはな」飛竜が不意に言った。手際よく寛美の地図をたたむ一方で鈴華が出した地図の確認も怠らない。器用な男である
 「誰も信じられなくなった奴から、脱落するんだ。自滅するといってもいい。疑心暗鬼になった奴は、誰彼構わず襲いかかるようになる。それで、相手は自分の身を守る為に、そいつを殺すだろう。そういうゲームなんだ。」
 「じゃあ、とりあえず皆を信じたらいいわけ?」やや身を乗り出し具合に鈴華は言った。何となく、彼女らしい。
 「いや」飛竜は苦笑した。「なかなかそうもいかないだろ。いきなりナイフを構えて跳びかかってくる奴がいたら、お前そいつを信じられるか?」
 鈴華は首を横に振った。大きな仕草で地図を裏返しながら、飛竜は自嘲気味に呟いた。「クラスメイトなんだから、信じられるのが本当なんだろうけど。」
 知らずの内に寛美は口を開いていた。「とりあえず、あたしはあんたを信じるわ、Mr.リュー。あんたや鈴華を殺さなくて済む身の上に感謝しなくちゃね。」寛美は自分の黒いゼッケンと、鈴華の青い、飛竜の白いゼッケンを交互に見比べた。そうだ、殺し合わねばならないのは、同じ色のゼッケンを付けた者同士なのだから。
 「当面はな。」飛竜はたたみ終えた地図を寛美に手渡した。元の折り目がうっすらと残っているが、新しい折り方の地図は角がきちんと揃っていて美しい。彼は鈴華の地図を、両手を伸ばして眺め、てきぱきとたたみ始めた。
 そして少しくらい口調で呟くように小さく言った。「ケガには気を付けろよ。スーニャン、お前は特に。」
 「何で?」
 「セニャンを殺したくなかったら、気を付けろ。」尋ね返した鈴華に、飛竜は厳しい声を出した。よく意味がわからなかったが、とりあえず鈴華は黙った。
 ふと、恐る恐る寛美は飛竜に声を掛けた。「ねえ」
 飛竜はようやく顔を上げた。「何だ?」
 「皆さ、やる気なのかな。」殺し合いを、と続けようとした寛美に飛竜は最後まで言わせなかった。「ちびの金と女の方の李だったら、もうやられてた。」
 クラスには、同じ姓の人間が複数いる。金も李も、クラスには二人ずついる。
 「やられてたって・・・。」鈴華の声は知らずに震えていた。
 飛竜はいとも簡単に返した。「この会場内には、どうやらショットガンもマシンガンも出回ってるらしい。」
 金と李の姿を想像したのだろう、鈴華は震え上がった。皮肉っぽい声を作り、寛美は言った。「ほとんど鎖国政策してるくせに、どこから仕入れるのかしら。」
 「もっと言ってやれ。」飛竜はたたみ終えた鈴華の地図をかざして見ている。まだ、本来ならば爽やかな午前中なのだ。
 「ゲームの管理者が、ここにいる全員の会話を盗聴しているはずだから。」
 「え!?」寛美と鈴華は仲良く声をそろえた。
 飛竜はその奇麗な顔でにっこりと微笑んだ。ほとんど不敵とも言えるような笑顔である。「悪趣味だろ。ゼッケンに付いてるバッヂが盗聴機。あ、外そうとしない方がいいぞ。それ」
 反射的にバッヂに手をやった寛美に、飛竜は静かに言った。「外そうとしたり、逃げようとしたりしたら、電流が流れるようになってるんだ。お前、心臓に風穴あけたくないだろ?」
 「何でそんなこと知ってるのよ。」慌てて寛美はバッヂから手を離した。そして急に、出会ってからずっと平然としている飛竜が空恐ろしくなった。こんな状況下で、こんなにも冷静でいられる奴がこのクラスに他にいるだろうか(いや、いやしないだろう、とつい昨日古典の授業で習ったばかりの反語で突っ込み。そんな場合ではないのだろうが。)
 「よし!」飛竜は寛美の問いに答えなかった。聞こえなかったのか、それとも。
 すっと立ちあがると、飛竜は鈴華の方を見下ろしながら言った。「お前の地図にある劇場に行ってみよう。ここから北に徒歩十二分だ。いいか?」
 「あ、うん。」鈴華もつられて立ちあがった。「よくわかんないし、いいよ。」
 「セニャンは?」飛竜は、まだ座りこんでいる寛美に向かって言った。不満がないか、という意味であろう。
 「別にいいよ。」尻を叩いて寛美も立ちあがった。
 飛竜は信じられると、寛美の勘がそう言っている。しかし100%信じきるには、彼にはまだ不可解な部分が多すぎる。
 Mr.リュー、あんたのその奇麗な顔に賭けてみるわよ。
 ふと遠くで、エコーがかかったような銃声が響いていた。




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