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Candy Pot


 「あら、どうしたのこれ」
 台所仕事の手を止めて学校帰りの竜血樹を出迎えた紅凰は、テーブルの上に無造作に置かれた包みを持ち上げた。
 セロファンでラッピングされ、ご丁寧に造花とリボンまでついたひどく可愛らしいそれは、掌に乗るほどの大きさの白い陶器の容器だった。蓋の部分はピンクの薔薇の花束を模した細工になっており、透かしの模様も側面に入った、気合の入った逸品である。しかもその形はこともあろうにハート型。
 「あー……何か、お土産だって」
 デイバッグを部屋に投げ込みながら、竜血樹は興味もなさげに答える。「隣のクラスの女子が持って来たんだけど。男にそんな少女趣味のもないよな。っつか、ほとんど話したこともない奴だぞ」
 秀麗な顔に困惑の色を滲ませて、彼は亜麻色の髪を無造作に引っ掻く。何度か瞬いた紅凰は、おっとりと首を傾げると尋ねてみる。
 「お土産って、どこに行ったのかしら?」
 きょとん、と振り返った彼は、今更気付いたように小さな声を上げた。「ああ、訊きそびれた。何か、ほとんど何も言わせまいとするような勢いだったしさ。俺も気迫負けして……訳わかんないや」
 掌から包みを下ろすと、ことんと小さな音が鳴った。その様子を、竜血樹は怪訝そうに振り返る。
 「あれ、開けないのか?」
 「あなたがもらったものでしょ?」くすくすと紅凰は笑った。
 一世一代の覚悟を決めて彼に対峙した女の子の姿が目に浮かぶようだった。教室の前の廊下でだろうか、きっと顔を真っ赤に染めて、震える手で手渡したのだろう。応援してくれる女友達がいればよいが、もしかしたら後で仲間内で小突かれたかもしれない。現場を目撃した同級生には、嫌と言うほど冷やかされるだろう。
 それを思うと、申し訳ないような気がした。自分なんかが彼のこんなに近くにいて、彼を独り占めして。彼よりもずっと年上で、後ろ暗い過去を抱える自分よりも、きっとその子の方が彼には何倍も相応しいだろう。
 (でもね)
 軽く紅凰は首を振る。(……ごめんね、ロンは見た目よりもずっと子供だから、そう言うことには鈍いのよ)
 身長こそはとっくに自分を追い越して、面差しも随分大人びてきてはいるが、それでもまだまだ子供っぽいところがある。構ってもらえなければすぐにいじけてしまうし、朝も起こさなければいつまでも寝てしまうし、勘が鋭い割には肝心なところで抜けている。
 きっとこの「お土産」も、相手の表情にもほとんど気付かず額面通りに受け取ってしまったに違いない。学校ではどんな顔をしているのかはわからないけれど、きっといつも緊張したときにするような、少し強張った無表情で飄然と構えているのだろう。
 想像すると思わず笑みが洩れた。不思議そうにその顔を見遣りながら、竜血樹は包みを開く。「うわ、どうやって開けるんだこれ。あ、ここ針金になってるのか」
 独り言が増えるのは、その場の空気に甘えている証拠。微笑ましげに紅凰は、身を屈めて奮闘する竜血樹を眺めながらエプロンを外した。
 「あ、飴だ。うわあここまで少女趣味で来るか」
 見ると、容器の中には半透明のセロファンで包まれた白とピンクのハートの形をしたキャンディーが詰まっていた。飾りが多い容器の割には容量があるようで、少々ボリュームのあるキャンディーの割には個数も多い。
 思わず笑いを押し殺す紅凰の隣で、竜血樹は形のよい眉を寄せた。「……俺、飴は苦手なんだけど。食べなきゃ申し訳ないよな」
 「あら、甘いものは苦手じゃないでしょ?」
 傍から覗き込むと、むっつりと竜血樹は頷く。「だけど、飴ってほら、時々気泡が入ってることあるだろ? あれって初めは気付かないんだけど、舐めてるうちに表面に穴が開いてさ。その縁のところで舌とか口の中を切ると痛いんだよなあ。それから結構飴ってざらざらしてるから、ヤスリみたいに擦れるのも痛いし」
 遂に堪えきれず紅凰は吹き出した。それから、困惑したようにこちらを見る竜血樹に謝る。
 「ごめ、ごめんなさ……そうね、確かにそれは痛いわよね」
 一頻り笑い、ようやく紅凰はテーブルの角を掴んで自分の中で収拾を付ける。
 困り果てたように彼女の傍に屈み込んで、竜血樹はおずおずと言った。「なあ、お前に食べてもらったら駄目かなあ。嫌々片付けるよりは、好きな人に食べてもらった方が飴も本分をまっとう出来るだろうし。悪いかなあ」
 その紫色の目にじっと覗き込まれると、嫌だなんて言えなくなってしまう。仕方ないなあ、と思いながら紅凰は微笑んだ。
 「そうね……だったら手伝ってあげるから、ロンもちゃんと食べるのよ。キャンディーは日持ちがするから、ゆっくりで構わないしね」
 救いの神を見るように、眼差しをぱっと明るくする竜血樹に小首を傾げて見せながら、紅凰はキャンディーポットの中からキャンディーを一つ取り出した。
 (ごめんなさいね)
 心の中で手を合わせながら、丁寧にセロファンを解いてキャンディーを口の中に入れる。とろけるほど甘い風味が口の中に広がった。
 「いちごミルクみたい。そんなに固くないから、口中血塗れにはならないわ。美味しいわよ」
 言葉を発するたびに、口の中を転がるキャンディーがころころ音を立てた。
 その顔をじっと眺めていた竜血樹は、ふとぽつりと呟く。「……じゃ、俺もいる」
 にこりと微笑んでポットに伸ばそうとした紅凰の掌を、不意に竜血樹の掌が押さえた。二回りも大きな手に自分の手を握られて目を丸くする彼女の頬に、もう片方の彼の掌が添えられる。
 次の瞬間、紅凰の唇に竜血樹の唇が押し当てられた。前触れのない突然のことに驚いてか、それとも反射的にか、僅かに開いた彼女の唇の隙間を彼は強引に抉じ開ける。指先で紅凰の唇の端を拭いながら、何度も探るように唇を押し当てる。
 そして舌先で不意に紅凰の口内からキャンディーをさらうと、それでも飽き足らないと言うように彼女の舌に絡める。それからとっくりと歯列に舌を這わせ、身を引こうとする彼女に一層深く口づけた。
 「……んっ」片手を押さえられたまま、やっとの思いで紅凰は身を剥がした。
 「……や、こんなところで……」
 大きく息を吐いた瞬間、火を吹きそうなほど顔が熱くなった。おずおずと視線を戻すと、彼女を顔をじっと見詰めたまま竜血樹は口の中でキャンディーを転がしている。
 ころころ、ころころ、キャンディーの転がる音すら聞こえそうなほど間近に彼は顔を寄せていた。思わず口元を押さえて紅凰はずるずるとへたり込む。
 彼女の顔の両脇に掌を添えたまま、竜血樹は率直に言った。「本当だ、結構美味いや」
 「もう……どうして」
 少し潤んだ目で見上げながら、紅凰は眉根を寄せた。
 黒い髪の毛が少し乱れて顔に掛かっているのをそっと指先で掻き揚げながら、竜血樹はにっこりと笑う。「甘いから、飴と間違えた」
 「……確信犯」
 拗ねたようにぽつりと呟いたが、真っ赤な顔で言っても少しも効果はない。憎らしいほど爽やかな笑顔に見詰められながら、小さく内心で紅凰は溜息を吐いた。
 (……子供だと思って、油断したわ)



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