世界のはじめというものを見たことがあるものは凡そあられますまい。我々の命は余りに短く、また偉大なる先人が文字という情報をその手に得られたのは恐らく世界のはじめよりもっと後世のことでございますので、どうあってもそのときの様子を正確に知ることは難いのであります。
 ただ多くの世人に世界のはじめを伺いますと、なぜか口裏を合わせたがごとく「世界は巨大な蛋から孵化した」と語られるようであります。なるほど哺乳類を除く多くの動物は凡そ蛋から生まれるものでありますし、世界を巨大な有機体と考えれば、それも道理に適うことでございましょう。とまれ世界のはじめが巨大な蛋であったということは、少なくとも観念的には大いに合理性を伴う説だと思われます。
 さて、しかし巨大な蛋から世界が孵化する前に、ひとつだけ先行して飛び出した動物があったと申しましても、ひとえには信じ難いことでございましょう。ましてそれが鴉であったと申せば、五味に叢るあの賎しい鳥かと眉を顰められる方も少なくないのではありますまいか。ただ敢えてもう一度繰り返させて頂きますと、まず世界の最初に生まれ出でた動物は鴉なのでございます。
 鶏蛋の中の黄身がただ一つの細胞で、それが分裂によって無数に数を増やし多細胞生物である雛子を形作りますように、世界の蛋の中にも初めから世界中の凡てが詰まっていた訳ではありません。ただ、世界中のあらゆる生物が数を増やすことの適いますように、犬も馬も蝶も凡てが一番いずつ収まっておりました。
 ところが孵化を迎える段になり、蛋の中では物議が持ち上がりました。今この世界が孵化致しましたところで、十分に育ちうる環境は整っておりますでしょうか。もしくは凡ての動物達が無事繁殖しうるほどに成熟しておりますでしょうか。もし不備があれば世界は育つ前に亡びてしまいます。さりとて斥候を送ろうにも、一番いしかいない誰もが任務の恐ろしさと失敗時の自種の亡びんことを恐れ名乗りをあげません。やむなく他推で選び出されたのが、不吉な黒い翼と嘲るような嗤い声で嫌われものの鴉でございました。
 ところが鴉は鴉で野心を持っておりました。と申しますのも先述の通り鴉は蛋の中で既に嫌われており、やがて世界が孵化しましたたところで他のものどもとうまく行きませんのは知れきっておりました。他種に先駆けて蛋をい出、覇者となることを望んでいたのでございます。そこで番いの鴉は蛋を暖めます太陽へと迷わず飛び去り、そこで無数に数を増やして参りました。蛋が孵化したのは、ようよう鴉の子らのほんのひとにぎりが地上へ舞い戻った後のことであります。
 今日、世界中にあらゆるものが繁殖しておりますが、太陽で繁殖することが適いましたのは、世界がまだ未熟の内に参りました鴉だけでございます。他のものは皆世界と共に生まれましたため、摂理という軛から逃れられず、太陽へと参ることができません。太陽の表面は、今日もただ鴉だけが縦横に飛び交っております。
 ただもし嘘だとお思いになられましても、お確かめになられようとはお思いなされませぬように。眼をお潰しになられては、つまらぬことでございます。